シンガポール移住、未知の世界での旅立ち
「シンガポール、いく?」
この軽いようで重い質問のせいで、当時まだ中学1年生だった私はこれまでの人生史上最大に思い悩むことになりました。
ただの「シンガポール旅行」であれば「もちろん行くよ」と即答、むしろなぜそんな当たり前の質問をするのか疑問に思ったかもしれません。
ただ、この質問は「(父親が)シンガポール(に転勤することになったけど、一緒に)いく?」という意味合いを持っていました。
「どっちでもいいからね」
今思い返せば、私の意思を最大限に尊重するために母親はわざと軽い調子で訊いてくれたのだと思います。
私の選択肢は2つ、
・父親のみが単身赴任でシンガポールに渡り、私を含めて残りの家族は日本に残る
シンガポールに引っ越すなんて、そう簡単に決断できることではありませんでした。
帰国子女、海外に住むことへの憧れは確かに私の中に存在しましたが、それ以上に未知の世界に対する憂いが先行するのは仕方なかったでしょう。
私に限らず、中学生の頃は自分が生きている世界を非常に狭いものに感じられると思います。
中学受験などをして、家から離れた学校に通っている場合であればまた違ったのかもしれませんが、私は今までずっと地元の公立通い。
生まれた時からの慣れ親しんだ町と物心ついた時からの気の置けない友人を置いてまで新たな世界に飛び込むのは当時中学生だった私にとってし難い決断でした。
実際、私だけの結論では日本に残っていたでしょう。
しかし、私は最終的にシンガポールに行くことにしました。
現状に甘えようとしていた私がどうしてその決断をできたのか、それは妹の存在が大きかったように思えます。
当時まだ小学校低学年だった妹は良い意味で怖いもの知らずでした。
幼稚園入園時に受験をして、早々に電車通学を経験していたこともあるのでしょうか、5歳ほど年下だった妹は、私よりもよっぽど広く自分の世界をとらえていたと思います。
「行く学校が変わるだけでしょ?幼稚園から小学校に変わるときと一緒じゃん」
確かにその通りなのだが...
その時どうやら私の妹はかなりの大物になりそうだと感じました(笑)
我ながら情けないですが、妹の決断にも背中を押されて
中学2年生の5月、一家総出でシンガポールへの移住が完了。
転校してしばらくは、新しい学校もこの国のことも分からないことだらけで大変すぎる日々でした。
ひとたび家を出れば公用語は英語で、日本にいれば何でもないような、何かを買うだけでも一苦労。
それでも人間は置かれた環境に適応していくもので、徐々にシンガポールでの生活を充実させていきました。
結局大学入学までの約5年弱の間シンガポールで生活し、もはや第2の故郷と言っても差し支えないほど私の中でシンガポールという存在は大きいです。
そしてそこで得た経験は何にも代えがたいものになりました。
そのシンガポール生活で私が一番成長したのは言語能力ではなく、
「どこへ行ってもまあ何とかする」
というメンタリティです(笑)
英語が話せればこの上ないですが、大多数の方はやはり難しいと思います。
私も5年弱住んでいましたが結局英語をペラペラ話せるようには全くなりませんでした。
海外に住んでいれば勝手に英語が喋れるようになると思っている皆さん、それは嘘です(笑)
しかし英語を話すよりも大事なこと、そして私に最も不足していた新しいこと、新しい世界にチャレンジする精神はこのシンガポール生活で確実に育てられました。
何か新しいことに対しても自信をもって挑戦することはなかなか出来ることではありません。
しかし、シンガポール移住を通して身についた新しい世界の成功や失敗はこれ以降も様々な場面で助けになってくれると思います。
「シンガポール、いく?」
この質問、そしてこの決断をしたおかげで、新しい何かにも積極的に飛び込んでいく今のメンタリティを形成することができたと感じています。
何か決断に迷っている方へ、
ぜひ自分が経験したことない道を切り開く決断をしてみてください。